独立したい社会人2年目が思いを叫ぶブログ

独り立ちへの道のり、日常生活、その他もろもろ

MENU

友達はいらない、面倒だという意見について思うこと【思い叫んでます】

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

スポンサードリンク

こんばんは、昨日引っ越してまだ荷ほどきが終わってないわをんです(マジキツい)(明日も仕事。終わらぬ)

 

引っ越しについては昨日の記事を読んでね↓

 

waon-k.hatenablog.com

 

 

で、今日はタイトルの通り友達っていらなくね?という意見に対して僕の思うことをしゃべります

 

結論からいうと僕は友達はそんなにいらない派です

 

ただ、絶対的に心を許せる存在は1、2人ほどいてもいいと思っています

 

昨日の引っ越しでそれを強く感じたので、話していきたいなと思います

 

引っ越しを手伝ってくれたA君B君

 

昨日の引っ越しは業者さんと、僕の友達であるA君とB君に手伝ってもらいました

 

業者さんによる荷物の搬入が終わり、前のアパートの掃除も終わったところで、A君とB君とお疲れ様会をしました↓

f:id:waon_k:20211026183426j:plain

 

 

いえーい ^^) _旦~~

せっかくお店でお酒が提供されるようになったのでね、騒ぎすぎない程度に楽しんできました(ちなみに前日も「この家での最後の宴だぜ!」とかいって飲んでます。バカ)

 

A君は高校と大学が同じで、もう出会ってから8年ほどの付き合いになります

 

B君とは大学からの付き合いですが、卒業旅行に彼の実家に行ったりもする仲です

 

そんな2人ですから、今回の引っ越しの件も頼みやすかったですし、前日の宅飲みも引っ越し後の打ち上げもとても楽しい時間でした

 

2人ともまだ学生で今は時間があるらしいんですが、とはいえ協力してくれるのはとてもありがたいですよね

 

A、B、ほんとにありがとう!今度なんかオゴるからな!!

 

友達の存在が鬱陶しくなるときもあるけれど

 

このブログの冒頭でも言ったように、僕は友達はそんなにいらない派です

 

だって友達の存在がすべてプラスにはたらくとは限りませんよね

 

勉強したいときに限って飲みの誘いがくる、好きな女のコがカブるとバチバチになる、どんな友達にも同じ接し方をする自分でいなきゃいけない、とかとか

 

もしくは逆でその友達に合わせて自分の接し方を変えないといけないから面倒だ、とか(僕の人づきあいはこっち派)

 

友達の存在が自分という存在を脅かすこともあると思うんですよね

 

ただ、僕の主張はもうひとつあって

 

心の許せる存在が絶対に1人や2人はいた方がいい、ということです

 

ここでいう心の許せる存在っていうのは

 

  • 自分を取りつくろうことなく自然体で接することができて
  • 言いたいことは言えて、言いたくないことは別に言わないでもよくて
  • 自分が困っていたら助けてくれて
  • 逆に相手が困っていたら助けてあげて
  • 「コイツのためならやってやるか」ってなふうに思える

 

そんな存在のことです

 

僕にとってA君とB君はこういう存在ですね

 

今回は僕の引っ越しを2人が手伝ってくれましたけど、例えば僕がA君のハマってるゲームのスペシャルイベントをA君がバイトでできないときに回って報酬をゲットしたこともあったし

 

B君の好きなアイドルの写真を僕がライブに行ったついでに他の人からゲットしてプレゼントしたこともありました

 

……なんか例えとしてはどうなんですかねこれ

 

もっと他にもあったような気がするんですけど、今ぱっと出てくるのがこの2つなんでこれでお願いします<(_ _)>

 

2人と話してるとね、ほんとに時々思うんですよ

 

「あー、これからもこの2人は俺の人生に登場し続けるんだろうな」って

 

多分2人が学生を卒業するときは僕は大学まで足を運ぶだろうし、お互いの結婚式には参加するだろうし、おっさんになっても一緒に旅行とかするだろうし、自分がまだ生きてりゃ葬式にも顔出すだろうし

 

3人出身地は違ったりするんですが、離れたところに住んでいても「今日イケる?」みたいなノリで誘ったらたぶんみんな集まります笑

 

「俺たちマブだから!絆サイコー!!」っていう話ではないんです

 

ていうかそう言わないと保てない関係ってそれこそめんどいなって僕は思って

 

ただ、あいつらからの頼み事は聞くし、僕もあいつらに頼み事するし

 

飲みたいっていったらよほどのことがない限り行くし、僕からも誘うし

 

僕が困ってる時は助けてくれるし、逆に困ってたら手を貸すし

 

そういうことをほんとうに自然とできる存在が、心を許せる存在なのかなって思います

 

だから、僕にとって2人は特別な存在って感じではありません

 

どちらかと言うと「当たり前」の存在って感じです。言葉が合ってるかは分かりませんが

 

あと、そういう存在って少しだけ自分のことを好きにさせてくれます。

 

僕って自分のこと大嫌いなんですよね。

 

見た目も性格も、この世に自分以上に嫌いな存在はいないと思います

 

休みの日もあんまり人と会わないので、そうすると大嫌いな自分という存在と1日を共にするわけですから、どんどん思考が暗くなる

 

ほんとにストレス溜まりますよー。わかる人もいると思うんですけど笑

 

けど、人と会うと意識をそっちに向けるから、自分に意識を向ける時間は必然的に少なくなりますし

 

自分がその人といて楽しい、その人のためになんかしたいっていう人と一緒にいると、自分も相手にとってそういう存在なのかもしれないって思って

 

すごく自分が「存在していい」って言われてる感覚になります

 

ありますよね、「俺って何のためにいるんだろ」とか「生きてていいんだろうか」って思うとき

 

ジブン性格ヒクツすぎひん…?って思う人もいるかもですが、僕はしょっちゅうあります(特に仕事をはじめてから)

 

でも心を許せる人ってこういう思いを少し和らげてくれます

 

きっと自分にとって相手が「当たり前」な存在であるとき、相手にとっても自分が「当たり前」な存在なんですよね

 

つまり、そこにいて当然の存在です。存在してていいんです。

 

むしろ存在しなきゃいけない理由を考える方が不自然、くらいの感じです

 

自分にとって「特別」な存在である人が、自分のことを「特別」な存在と思っているかはわかりません

 

でも自分にとって「当たり前」の存在である人が自分のことを「当たり前」の存在だと思っていることはかなり多いと思います

 

どういったことでそういう関係が築かれるのかはよく分かりません

 

出会ってから重ねた年月かもしれないし、直接会った回数かもしれないし、キッカケとなら何か大きな出来事かもしれない

 

でもまあ気づいたらそういう存在っていつの間にか自分の周りにいます。

 

僕もそうでした。A君もB君も1番仲のいい友達!って感じじゃなかったんです。

 

でもある時から「コイツらがいる」っていうのに妙な安心感というか、そういう感覚になったんですよね

 

だから、「そんな存在いねーわ」っていう人も別に無理してつくる必要ないと思います

 

案外もうすでに出会ってる人がそういう存在になったりするかもしれません

 

以上が僕の友達なんていらないって考えに対する意見です

 

今日は特に感情に任せて書き殴ったのでまとまってるかちょっと不安です笑

 

もう一度まとめると

 

  • 友達って絶対必要なものではない。自分にとってプラスにならないこともあるから
  • でも心を許せる存在は自分のことを肯定することにもつながるしいた方がいい

 

って感じですね

 

引っ越ししたことによってこんなブログを書くことになるとは…

 

引っ越しって深い(ちがう)

 

僕が大切にしたい人間関係

 

人は結局人と会わないとダメになるんだろうなーって思います

 

1人でいるとどんどん自分だけの考えや価値観に埋まっていくし

 

いくら今はSNSでいろんな情報に触れられるといっても、その情報は自分の好きなものだけを選択したものだろうし

 

ってなると、どうしても自分中心の考え方になるし、そのせいで自己嫌悪も起こりやすくなるんですよね

 

だから、人と会うことって大事。違う考え、価値観に触れることって大事だと思います

 

自分1人だと自分の存在価値を探さないといけないけど、人に会えばそれだけで存在することに意味がある

 

自分にとっては相手がいることが、相手にとっては自分がいることが「当たり前」。そんな関係、いいと思いません?

 

僕はそういう関係を1番大事にしていきたいなーって思います。

 

ふぅ、久しぶりに思いを吐き出したんでちゃんと伝わってるか不安ですね笑

 

さて引っ越しの荷ほどきに戻るとします。たぶん今日も終わらんな、これ…

 

ではでは〜

 

わをん